彼は誰時

かわたれどき。最北住み。50代主婦。お気に入りを集めているブログです。

『加藤諦三、令和時代への提言』~心のマスクを忘れるな~

ニッポン放送で12月30日に放送された【「テレフォン人生相談」55周年記念!『加藤諦三、令和時代への提言』~心のマスクを忘れるな~】を聴きました。


この放送を聴き、血の気が引いてくるような、嫌な汗が出てきそうな、身の置き所がなくなるような、何とも表現しがたい焦りを感じました。

私は不安障害と診断されています。それは「神経症」というくくりの中のひとつの病気であり、その神経症についても放送の中で触れられていたせいもあるからでしょう。他にもいろいろ生き辛さを感じているので、どのような心持ちでこの放送を受け入れたら良いか分かりませんでした。自分の勉強のためにも書き起こしをして記事にしておくことにしました。

※講演のすべてを書き起こしてはいません。私は心理学、社会学の専門ではありませんので、漢字変換、専門用語で誤りがある可能性もあります。

(ここから書き起こし)

困難な問題に際して、安易な解決を求めるな

こんにちは。加藤諦三です。現代の危機は、コロナ感染症そのものではありません。コロナ感染症と戦う意志と能力そのものを失いつつあることです。

この状況、私は蒙古(襲来)以来の国難だとすら思っています。テレフォン人生相談に寄せられた相談もいつもより多く、そして大変深刻な悩みが多かったようです。

今日の提言の内容の骨子は、「困難な問題に際して、安易な解決を求めるな」ということです。それは、幸福を得る力をも捨ててしまいます。

「正しいこと」と「正しいこと」の矛盾衝突をどう解決するか

ニッポン放送テレフォン人生相談は、1965年1月にスタートして、55周年を迎えました。1965年というのは、終戦後の混乱から経済成長時代が幕開けして、73年に終わる前の時代ですね。

それから、バブルの崩壊からリーマンショックというのがありました。今回のコロナの報道の時でも、「リーマンショック以来、リーマンショック以来」と盛んに言われましたけれども、今回の事件は、リーマンショックとは基本的に起きてる困難が違います。リーマンショックの場合には、正しいことと正しいこととの矛盾衝突はありません。経済的な問題ですから、経済は良くなるほうがいいに決まってるんです。だから、この方向で行こうという形で乗り切っていかれる。

今回は、リーマンショックとは完全に違うものです。コロナの問題を収束するのも正しいことです。経済がうまく回ることも正しいことです。だけど、大変なのは、正しいことと正しいこととが矛盾衝突するから、そこでそれをどう解決するかというのが難しい。

そこで安易な解決を求める。コロナの終息と経済との両立、バランスという言い方です。

今、起きてることは、正しいことと正しいことが矛盾衝突している時に、それをどう解決するかというこの視点が絶対に必要なんです。ところが、この絶対に大切な視点がまったく抜けて、議論が朝から晩までされているという、これは大変不幸なことです。

高度経済成長時代にうつ病が増加した

そのリーマンショックが終わって現在になってきているわけです。ところが、実は、高度経済成長の時代に、深刻な問題が起きてることがまったく理解されていない、議論されてない。うつ病の増加ということが起きていたわけです。本来であれば、高度経済成長の時に、高度経済成長はいいことだ、だけど、心が病んでいくことは悪い。でも、この二つの正しいことは矛盾衝突しているという認識すらまったくなかったというのが、この日本の歴史です。みんながどんどんどんどん経済成長、経済成長、それだけがいいことと思っていますから、実はその裏で深刻な心の病が増加しているということが注目すらされません。

当時、いろんなところに講演に行った時、「うつ病になること気を付けようね」という講演をしてもあまり耳を傾けてくれない。論文を書いても注目されない。どんどんどんどん心の崩壊は進んで、令和2年が終わり、3年になろうとするこの年末年始の時には、もう日本の社会の心の崩壊は、目を覆うほどひどいものになりました。

自分が意識している自分と、本当の自分は違う

時代が大きくこの55年間に変わってきているんです。相談内容も一見見ると非常に変わってきました。だけど、その現象の裏に隠されている本質は変わっていません。別の言葉で言えば、「人間は、自分が意識してる自分と、実際の自分、本当の自分とは違う」。これが分かってないから、さまざまな悩みが出てくるんです。これが50年間にわたってなぜ人生相談が続いてきたかという理由だろうと思うのです。

テレフォン人生相談で相談してきた内容にそのまま答えてたら、テレフォン人生相談なんてそのうちリスナーはばかばかしくて聞かれなくなりますよ。ところが、相談している人が、「自分が相談していることは、自分が本当に相談していることと違うんだ」ってことを、こちらから指摘して認めてくれたり認めてくれなかったりすること、「自分が意識してる自分、自分が考えてる自分と、実際の自分とは違うんだ」、そのことをしっかり理解して対応してきたから、おそらく50年間続いてきたのだろうと思います。大切なことは自分の心と向き合うこと、意識と無意識のかい離を無くすことです。

攻撃性の置き換え、攻撃は弱い人に向けられる

ニッポン放送テレフォン人生相談は、時代と共に内容は変わりましたけれども、その裏に隠されている本質というものは変わらない。それをいくつか言いますと、例えば、攻撃性の置き換えなんていうのは、よくある話なんですね。

どういうことかというと、自分の怒っている無関係な人に攻撃性を置き換えることです。ご主人に不満な奥さんが優しい隣人に怒鳴る。夫が嫌いなのに、夫が嫌いということを意識しちゃうと自分の社会的立場がおかしくなりますから、義理のお姉さん大っ嫌いという言い方にする。だから、依存する相手に敵意を向けることは非常に難しいんですね。

子どもに対しても、洗い物をよくしている娘に対しては、「洗い方下手だ」って言って騒いで怒る。いじめやすい子どもに全部怒りを向けてしまう。夫婦関係の問題というのは、いじめやすい子に寄せられるわけです。夫への不満を子どもの受験に置き換える奥さんは常に電話かけてきてくださいます。けんかをしない仲の良い夫婦っていうのは、子どもに過度に厳しかったり、背後には夫婦間の矛盾が隠されている。身近で弱い人に攻撃性を向ける。攻撃性は安全なところに向けられるという、これも本質のひとつです。

怒りや憎しみが変装する

もうひとつは変装ということです。実際の怒りが変装するわけです。自分は変装しているというふうに思わない。

例えば、相談してくる方が被害者意識にとらわれていて、「私はこんなにひどい目にあった」「こんなひどい人に会った」と言うけれど、実は、それは巧妙に変装した攻撃性なんですね。要するに、攻撃性を自分の意識から追放して、無意識にもってっちゃって、そして自分が被害者になってしまう。

妬みとか嫉妬とか、そういうものに変装する人もいます。

40代、50代になって憂鬱になっている人はいろいろ言うけど、それは攻撃性が表現できないで、憂鬱に変装して出てきている。

あるいは、逆に、「俺はよ、テレフォン人生相談にみんな電話かけてきていて、なんで悩んでんだか分からないよ。みんな、俺みたいにしてさ、毎日楽しくてさ、悩みなんか何にもないよ」って陽気に振舞う人がいるんですね。これも憎しみを隠すための不自然な陽気さです。

あるいは、正義の味方になって、ああだこうだっていうことを怒鳴る人もいるんですけど、これも正義が仮面ですから。

それから、こうあるべきだ、「べきの暴君」という言い方してみても、親が子どもに向かって「勉強はすべきだ」から始まって、いろんな「べき」でもってわんわんわんわん騒いでる。それで親は、「私は何にも悪いことはしてないのに、子どもがこんなふうになっちゃった」「不登校になっちゃった」「犯罪犯しちゃった」って言っているんですけど、子どもを責めても責めても満たされないわけです。子どもが原因じゃないですから。自分の怒りを子どもを責めるということに変装しているだけの話ですね。

悩みは変装された憎しみであることが多いのです。あるいは、過去のさまざまなこと、人間の記憶には知的な記憶と感情的記憶がありますけど、感情的記憶というのはもう忘れたはずなんですけど覚えているんですね。目の前に起きてる事件で悩んでるんですけど、実はそれはまったく関係ないんです。20年前、30年前の過去の事件に火が点いたというだけの話ですね。非常に多いのは、体は今にあるけれども、心は過去にあるっていう人が、大変多いのです。

55周年のこの番組で言いたいことは、時代と共に相談内容は変わりますけど、相談の裏に隠された本質は変わらない。ですから、この人、何相談しているんだろうなということが的確につかめないと解決にはならない。だから、変な話ですけれども、テレフォン人生相談は相談の内容にそのまま答えている限り相談にならないんですよね。悩んでいる人の救いは、悩みそのものなんです。ですから、なぜあなたは悩んでいるかということを説明しなければならない。

魔法の杖を求める神経症

「困難な問題に、安易な回答を求めるな」というのがこの一時間のメインのテーマなんですけれども、ベラン・ウルフというオーストリアの精神科医が、「待っていると障害が消える。誰かが自分の困難を解決すると期待する。魔法の杖を求める」、そういうことを神経症と言っています。

まさに経済の両立とコロナの終息なんか、一気にバランス、バランスて、朝から晩まで言ってますけど、こんな魔法の杖は、絶対にありません。この魔法の杖を求めるのは、テレフォン人生相談の「じゃ、どうすればいいんですか?」って、「どうすればいいんですか」ってそんな安易な解決を求めたってあるはずがないんです。この安易な解決を求める、誰かが自分の困難を解決してくれる、この魔法の杖を求めるのは、テレフォン人生相談そのものでもあり、現代のコロナの議論の、朝から晩までやってる、バランスバランスと言っているあれは、人生相談55周年の共通した問題です。今のコロナの問題では、隠された本質は何かということを考えなければ、コロナの問題も解決しません。

(書き起こしここまで)

批判しながらも離れられない依存的敵対関係

忘れられない相談として、テレフォン人生相談のリスナーの間でも「伝説の回」となっている女教師に相談された時の話を始めます。息子は引きこもりで家庭内暴力を振るい、相談者の母親はいろいろな機関に相談しに行ってますが、解決につながりません。「ガチャ切り」で終わったこの相談は、私にとっても相当に強烈な回として記憶に残っています。

telephone-soudan.com

その回の放送を書き起こした記事です。

「なんでそんなにひどくてどうしようもない人にこんなに相談を続けていて、なんで今、電話切らないの」

この相談をまた聞き直してみたのですが、加藤諦三先生の、これに近いような言葉はありませんでした。(これに近いニュアンスの話をしていて、それを私がくみ取れないだけなのかもしれませんが…) ただ人の噂によりますと、テレフォン人生相談は、放送時間に合わせてカットをするなど編集されているようです。(そうでなければ放送時間きっかりに相談が終わるなんて都合の良いことが起こるなんてありません) もしかして、そのカットされた中に、加藤先生のこの「なんで電話を切らないの」というセリフがあったのかもしれません。放送を聴くだけでも相当にインパクトのある回でしたが、実際はもっと激しいやりとりがあったのかもしれません。

(ここから書き起こし)

テレフォン人生相談に電話かけてきた時にも、(回答者が)やっぱり友達が悪い、学校が悪いって言わないですから、彼女のナルシシズムを傷つけられたんです。人間っていうのは、ナルシシズムを傷つけられるとものすごい怒りになるんですね。それでものすごい怒って、「こんな相談してバカみたい。もう先生なんて言わないからな。こんな馬鹿馬鹿しい話聞いて、私の失った時間どうしてくれる」って猛烈に僕を批判しながら、いつになっても批判が終わらないんですね。相手を批判しながら、しっかりと相手にしがみついている。こういう関係を依存的敵対関係って言って、これもよくある相談なんです。批判している人に対し依存しているんです。依存している対象を批判していますから、批判しながらも離れられない。ですから、いつまで経っても批判を延々と続けるんですね。これはいつまで経っても終わらないと思ったもんですから、「なんでそんなにひどくてどうしようもない人にこんなに相談を続けていて、なんで今、電話切らないの」って言った途端に、ガチャンって切って電話は終わったと、そういう延々といつ終わることのない批判を続ける相談者もいました。

辛くても成長要求に従う

新型コロナウイルスの終息が見えないままに令和2年が終わろうとしています。仕事を失った方、給料やボーナスがカットされた方、コロナウイルスの拡大ということでさまざまな悲劇に遭遇された方も多いと思います。そこで、コロナ禍の国難に挑戦して幸せになるためにということを少し考えてみたいと思います。

幸せの挑戦ということは、困難に安易な解決を求めないということなんですよね。つまり、こういう時代というのは、負担とリスクを背負って前に進むしかないんです。つらくっても、成長要求に従うしかない。

人間はどうしても自立か保護かで、保護を求めます。保護のほうが楽ですから。だから、フロイドは、「人間は絶えず苦しみたがる」ということを言ってますけども、「常に苦しみたがる」というのは、困難に際して退行欲求、楽をしたいという気持ちがあるから、どうしても苦しむ。だけど、つらいつらいと言ったって何の解決にもならないんです。そこで、コロナ禍の国難に挑戦して幸せになるためにはどういうことかっていうことを考えてみたいと思うわけです。

この困難は自分に何を教えているのか

まずは基準変更ですね。人間はいろんな基準をもっています。

若い頃は外部にどんどん発展していく。「今日は発展できなかった」という基準。

ところが、コロナがない時は、密が人間の、ことに子どもの心理的成長には必要なことです。本当は小さな子どもは密になってけんかをしたり、仲直りをしたり、仲良くなったり、いろんなことをして成長していくんですよ。なかなか成長ができない成年も、忘年会も新年会も人と会うということが、我々日本人には大切なことなんです。

だけど、こういう時代にはそれが無理だということですから、過去の時代の分析を始める。そして、自分の内なる力を蓄える。過去の基準変更というのは、今まで与えられた解釈基準ではなく、自分独自の基準を持つ。それが独自の世界をもつことになります。今はその基準を変更して内に基準を持ってきて、活動領域の縮小と意識領域の拡大ですよね。意識領域の拡大をすることによって、自分独自の基準は作れて、自分独自の世界がもてるわけです。

今日一日を精一杯生きる。それは活動領域の縮小と意識領域の拡大をしていく。新型コロナウイルスの終息が目に見えない今は、この困難は自分に何を教えているのかなっていう、そういう挑戦の受け取り方をしてほしいわけです。アドラーが「苦しみは救済と解放につながる」と言いましたけれども、まさに苦しみがなければ、人間の成長する機会はないわけです。新型コロナウイルスの終息が見えない今は、個人としては困難から逃げない、そして、自分を磨くという姿勢でもってこの困難にぶつかっていくと。

フランクルが、創造価値や体験価値の他に態度価値というものがあって、これが最高の価値だって言うんですね。困難に対してどういう態度で立ち向かうか。そのためには自分の過去を見つめて、自分の無意識の歴史を書いてみることです。活動領域を縮小して家にいなければならない時が絶好のチャンスなんです。「いろいろ考えてみたら、自分は高等学校の時にあの人友達だと思ってたけど、あれは本当は友達ではなかったんだな」っていうように物事を見る視点を変えてみる。そうすると人生っていうのは、今、あなたが思っているよりももっとたくさん生きる道はあるんですよ。

ところが、活動領域が広げていく時にはそっちのほうに目が向きませんから、生きる道はこれしかないと思う。その最悪の例が、過労死その他の問題ですよね。こんな会社辞めればいいわけですから。ですから、これ以外の道があるんだということに気が付けば、新しい道を探せる活力も生まれてくるかもしれません。それが意識領域の拡大です。

新型コロナウイルスの終息の見えない令和2年が終わろうとしている時に、過去の分析をして、新しい世界を切り開いていく。で、あなたが幸せになるためには、まず現実を認めることから始めることです。デヴィッド・シーベリーというアメリカの精神医学者が「不幸を受け入れる。そうするとすることが見えてくる」と言っています。現実を受け入れるということは、時に不幸を受け入れることかもしれません。だけど、不幸を受け入れることで、することが見えてくる。まず不幸を受け入れてすること見つけて、それに全力に取り組んでまいりましょう。

「心のマスク」で、毒を吐く人に巻き込まれないようにする

コロナ禍という困難に挑戦して幸せになるためには、どうしても望ましい人間関係が必要です。

世の中には毒を吐く人がいます。例えば、深刻な劣等感にあるという人は人を助けたがるんですよね。それは自分の心をいやすために助けますから、必ず感謝を要求する、恩着せがましいわけです。そういう人と付き合うと、心がどんどんと束縛されるわけです。

例えば、「親子の役割逆転」なんていう言葉があります。これはボールビーの言葉ですけど、「あなたさえ幸せになれば、私はどうでもいいの」、これは本当に素晴らしい非利己的な言葉のようですけれども、むしろそれは子どもを自分から離れないようにする人です。人間っていうのは、自分の人生を活性化するために相手を巻き込むんです。生き延びるためにはなんでもしますから。あなたのためにという言葉で、そしてこの「あなたのために」という言葉で相手の人生に巻き込まれると、これが望ましくない人間関係なんです。

「心のマスクを忘れるな」というのは、この自分の人生を活性化するために相手を巻き込む人に巻き込まれないようにすることです。今までの話の中でいうと、意識と無意識とかい離している人というのは自分自身でないですから、人を巻き込んで幸せになろうとするんです。

人間関係がうまくいっている人は、他人の言動を安易に受け取らない

いろんな人生がありますけれど、不幸になる人っていうのは、人間関係が悪い。これは大規模な調査があるんですけど、幸せな人の共通性というのは三つあるんですけど、その一つは望ましい人間関係なんですね。この望ましい人間関係っていうのは、もちろん「あなたさえ幸せになれば、私はどうでもいいの」なんていう言い方をしない人です。望ましい人間関係作るためには、うさぎにはうさぎの態度をとる、蛇には蛇の態度をとる、モグラにはモグラの態度をとる。

だいたい人間関係うまくいっているっていう人は、55周年記念番組のメインのテーマである「安易に物事を考えるな」っていう、安易に考えない人です。

ちょっとなにか人がしてもらうとすごく感謝をする。感謝っていうのは人と人を結びつける非常に重要な要素ですから、そういうように人の愛を受け入れる、人から愛されることが非常にうまい人ってのがいるわけです。そういう人っていうのは他人の言動を安易に受け取らないです。「あんなおいしくないものをごちそうしてくれた」っていうようなことじゃなくて、「この僕に一生懸命料理を作ってくれた」っていうふうに感謝をするわけです。

どういう人と付き合うかということは、コロナの時代であろうとコロナの時代でなかろうと、望ましい人間関係は幸せにとって絶対の条件なんです。ですから、心のマスクを忘れるなっていうのは、人間は残念ながら毒を吐く人がいますから、その毒を吐く人から自分を守るために心のマスクを忘れないようにということです。

今、できることを精一杯すれば、10年後、20年後の幸せにつながる

アメリカの機関のナショナル・インスティチュート・オン・エージングが10年間にわたって調査しました。1973年に幸せだった人は、10年後にも幸せだった。今、あなたに言いたいことは、今、あなたが不幸だと、このままのその生き方を続けていくと不幸になりますよってことですよ。毎年ジャンボ宝くじが当たっても不幸な人は不幸だし、どぶに落ちても幸せな人は幸せだっていうことなんです。

シーベリーが、「自分自身でありえないなら、悪魔になったほうがましだ」と言ったのは、自分が自分であること、自分が思っている意識が無意識の本当の自分である、そういう自分であるっていう人は、ずっと幸せである。だから、文明が進んでも、幸せな人は幸せだし、そうでない人は、文明が進むとみんな不幸になっちゃうということです。

今、自分が不幸だと思ってる、不運の星のもとに生まれたと思ってる、そう思ってると明日も不満になります。今の生き方が、10年後、20年後の幸せ、不幸を決めるんです。ベランウルフという人が、「悩みは昨日の出来事ではない」ということを言っています。悩んでいる人は、昨日こういうことがあったからと思っているかもしれませんけど、そうでなくて、30年間、40年間生きてきたその人の態度のその結果として、今の幸福、不幸があるんだ。逆に今、未来を考えれば、今できることをする。それが10年後、20年後の幸せにつながっていきます。

すべての結果には過程があります。そう悩むように、そう不幸になるように、生きてきていることがあるわけです。ですから、今、成長するための努力をしなければ、そのつけが10年後、20年後に回ってくる。ところが、今、できることを精一杯すれば、そのことが10年後、20年後の幸せにつながってくるというふうに思います。

文明の代償は不幸。ところが、文明は魔法の杖の幻想を与えますから、つい我々はそのわなにはまってしまうんです。今、我々は文明の代償が幸せという幻想、魔法の杖のわなにはまって生きています。幸せになりたければ、困難の解決に安易な解決を求めない。

文明が進んでも不幸にならないために ーテレフォン人生相談の夢-

「アメリカインディアンの教え」という本を書いた時に、アメリカインディアンについていろいろ調べたんですけれども、アメリカインディアンと26年間一緒に生活した人が、「アメリカインディアンの子どもにはいじめがない」って言うんですよね。我々が今、どうしようかって騒いでいる問題ですね。それがないんです。明らかにこれは、日本の社会よりアメリカインディアンの社会のほうが、人間としては質は高いと思っています。


アメリカインディアンばっかりじゃないです。例えば、2003年だったと思うのですが、アジアバロメーターがアジアの国々の調査をしてみると、夫婦関係がうまくいっているってところは、インドだ、スリランカだ、マレーシアだ、いっぱいあります。ところが、日本の夫婦関係、ずたずたです。そのアジアバロメーターによると、一番夫婦関係が壊れているのは、アジアで日本と韓国です。日本と韓国が一番文明が進んでるんです。まさにフロイドが言うように「文明の代償は不幸」なんです。不幸と文明とは、同じコインの表と裏なんです。

だけど、これを克服することが、人類究極の目標がここなんです。ここの人類究極の目標をなんとかして目指したいというのが、テレフォン人生相談なんです。まさにそれが、今、はっきりしてきた。このコロナの問題、そして安易な対応の仕方、これが文明が進むにしたがって人を不幸にしているんです。文明が進んでも不幸にならないためにはどうしたらいいのか、これがテレフォン人生相談の夢なんですね。この夢が実現できるかどうかは分かりませんけれども、進歩したら不幸になりますよって言うんじゃなくて、進歩しても不幸にならない可能性というのはどこにあるんだということを求め続けるのが、テレフォン人生相談の夢です。

まとめ

まとめると、新型コロナウイルスの本当の脅威は、新型コロナウィルスと戦う能力そのものを失いつつあることです。患者数や経済損失だけではなくて、心の崩壊は目に見えませんけれども、心の崩壊が進んでいるということをしっかり視野に入れないと、これが50年後には、あるいは30年後には、もっとひどいことになります。

そして、我々は今、マスクをしてますけれども、同じように心のマスクを忘れないで、毒を吐く人が世の中にはたくさんいるわけですから、心のマスクを忘れないで、しっかり生きていきましょう。

そして、自分は将来どうなるかと思われる方も多いと思いますけれども、今の生き方が、10年後、20年後の幸せか不幸かにつながります。すべての結果には過程があります。突然、そのことが出てくることはありません。

私たちも精一杯相談に寄り添っていきます。これからもテレフォン人生相談をよろしくお願いいたします。

「テレフォン人生相談」55周年記念!『加藤諦三、令和時代への提言』~心のマスクを忘れるな~
「テレフォン人生相談」55周年記念!『加藤諦三、令和時代への提言』~心のマスクを忘れるな~

病弱な子どもが病弱なりに今年もつつがなく終わる。それが本来の元気だということです。

(ここまで書き起こし)

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