数学の先生との再会
「小説を読むように、数学の勉強をしたらいいんだよ」
高校生の時、数学が苦手だった文芸部の私に、先生はそう話されました。
それから数十年経たのち、その数学の先生と、SNS で再会しました。
「あなたのこと、覚えてますよ」
そして、先の言葉を言ったのだと、一番に教えてくれました。
ごめんなさい、先生。
私、その言葉を覚えてませんでした...
担任だったこともなく、教科担任でもなかったのです。
誰か他の人と間違えているのではないだろうか…
それから、また年を経た今。
この歳になったから、わかります。
誰かに何かしたことを忘れることがあっても。
誰かに何かを言った。何かをした。それをはっきりと覚えていると思う時は、覚えているものなのだと。
私は、高校生の時に、なんて素敵な言葉を贈られていたんだろう。
きっと意味がよくわからなくて、数学への苦手意識も強くあり、消化しきれなかったのではないだろうか。
私に合うように見つくろってそっと贈ってくれたプレゼントのふたを開けることもしなかった自分のことが、本当に残念に思います。
先生からいただいた言葉によって、私の人生のあらすじがやすやすと変わることはなかっただろうけど。そのときどきの、そう小説における心理描写には変化があったと思う。自分の物語を、理数系という秩序のある世界からもアプローチしたりして、深く心に書き記すことができたかもしれないなどと思ったりします。
「僕の記憶は80分しか持たない」
「新潮文庫の100冊 2024」の一冊「博士の愛した数式」を読みました。
「おお、なかなかこれは、賢い心が詰まっていそうだ」
少年のルート記号のように平らな頭をなでながら、彼は言った。
『 √ 』(ルート) 。
「これを使えば、無限の数字にも、目に見えない数字にも、ちゃんとした身分を与えることができる」
「博士の愛した数式」(小川洋子)より
そんな中、ふと「私」の10歳の息子の話になる。博士は、子ども一人で留守番をさせるのではなく、博士の家に連れてくるように約束させる。
「博士」が文学的に、哲学的に、また親しみをもって、数学の美しさを教えてくれます。
数学は、博士と他者とを取り持つ手段でもありました。博士は多くの数学の魅力や秘密を言葉でも語ってくれます。
お互いを尊重し、理解する
数学に苦手意識を持っている人もいるでしょう。
でも、大丈夫。
数学の話はふわっと理解するだけでも、この作品を楽しめると思います。
この小説は、数学の世界の話だけではないのです。
博士は江夏のファンだったが、交通事故のあった30年前の阪神タイガースの江夏の姿しか記憶にない。「私」とルートは、「80分しか記憶が持たない」という博士のペースに合わせるようにする。野球の話題については、「ベンチの奥に江夏がいる」という設定で嘘をつき続けながらも、3人で野球中継を聞いて楽しんだりする。
博士は、二人との生活が始まり、世界が少しずつ広がっていきます。
「私」は、「80分」という制約の中でもできることを考えていきます。
博士からの深い愛情を示されたルートは、博士のことを信頼していきます。
博士は、「80分の記憶」という円の中をぐるぐる回り続けているかのようでありながらも、3人で確実に時を刻んでいくのであります。
君が書いた直線には始まりと終わりがあるね。だとすれば、二つの点を最短距離で結んだ、線分なのだ。本来の直線の定義には端がない。無限にどこまでものびてゆかなければならない。しかし一枚の紙には限りがあるし、君の体力にだって限界があるから、とりあえずの線分を、本物と了解し合っているに過ぎないんだ。
「博士が愛した数式」(小川洋子)
第1回本屋大賞受賞
温かい小説 ★★★★★
数学が苦手でも大丈夫 ★★★★☆
第1回本屋大賞受賞作品。
ここ最近、読書を習慣化するようになって、久し振りに本の世界に触れているのですが、結構暗い気持ちになる本が多いことに気が付きました。
大きな盛り上がりを乗り越えての結末でゴールとなると、試練を乗り越えたり、落差の激しい展開になったりと、どうしても暗い設定になってしまうのでしょうか。例えば多くの読者もいるミステリーでは、人が死んだとか事故にあったとかでないとミステリー小説としては書きにくくなってしまうでしょうから、暗い話が多くなってしまいます。
私、夢中になって読んでいた高校の時、どういう本を読んでいたんだっけ?
ともかく、どうにもそういう展開になることが多い感じもする小説という世界ですが、この作品は、最後まで温かなものが流れていました。
映画「博士の愛した数式」
映画化された当時、映画館で観ました。
寺尾聰さんが、おだやかに格好イイ博士を演じてました。
家政婦役の深津絵里さんもはまり役で、映画のほうもお勧めです。
その後にこの原作小説を読んだのですが、原作のほうでは数学の世界に入り込みすぎてちょっと日常生活をおろそかにしがちな博士… というリアルな表情もあり、ちょっとショックだったりもしました。
私が高校を卒業した後
私が通っていた高校には吹奏楽部がありませんでした。
小学校には鼓笛隊があり、町のほとんどの中学校にも吹奏楽部がありました。かなり過去にさかのぼるのですが、吹奏楽コンクールで全国大会に出場した経歴がある中学校もあったというのに、それなりの人数が進学する高校に吹奏楽部はありませんでした。
高校の数学の先生と SNS で再会したのは、先に書いたとおりです。その SNS から、先生が開設していたブログがリンクされていました。
ブログには、長く勤務された名寄高校の思い出が書きつづられていました。
私が高校を卒業した後、生徒から「吹奏楽部」を創りたいという声が上がったそうです。
しかし、創部にはかなりの困難がありました。
箱型の校舎は楽器の音が響くので、進学校では勉強の邪魔になる。
応援してくれる先生も現れる中、その先陣を切ったのが、なんと、その数学の先生だったそうなのです。
先ずは、「吹奏楽局」として開設。
音の問題などで学校内で練習することができず、民間の倉庫を借りました。
楽器は、数学の先生が奔走し、小中学校から使われていないような楽器を集め、音が出るように修理しながら使いました。
そして、先生の指揮で、吹奏楽コンクールに出場し、全道大会にも出場したそうです。
「小説を読むように、数学の勉強をしたらいいんだよ」
数学の先生が。
論理的な数学という世界に身を置く先生が、情緒的な音楽の世界にこんなに深く関わっていたとは。
理知的で厳しさも感じる先生が、授業を教える、生徒を指導するということ以外で、こんなに情熱的だったとは。
私は、今、音楽にたずさわる人をひそやかに応援しています。長年、静かに、見守り続けています。
もう、ライフワークと化してるかもしれない。
長い長い推し活です。
私の人生の多くの時間を占めることとなった音楽。その音楽に情熱を捧げていた先生が、10代の時にこんなに近くにいたなんて。
クロスしそうで、クロスしていなかったこと。
なんだか大事なことを、自分で取りこぼしたようで、残念です。
地域に息づく音楽文化
名寄高校に吹奏楽局ができた頃には、クラリネットアンサンブルはあったようです。そのアンサンブルでの活動を名寄吹奏楽団の創立としているようですが、今では楽団として活躍されています。
管楽器アンサンブルもあります。
数年前、名寄で「Saxアンサンブルfun−fan」の演奏を聴く機会がありました。
その時はクラシックメインの催しではなかったのですが、「fun−fan」の演奏が始まると、会場が静かになり、みんなが集中して聴き始めました。私は最後列に座っていたのですが、全員の顔がステージにまっすぐに向けられているのを見ることができました。ステージからのライトで照らされているみんなの横顔と、視線。その様子、時間が、とても美しく感じられました。
これらの団体の人達が名寄出身かどうか、吹奏楽部を経験したのちに活動しているのかは分かりませんが、地域にその土壌があること、音楽への理解ある空気があるということは、大きいことだと思うのです。
2015年には、文化センター「EN-RAYホール」(エンレイホール)も建てられました。「EN-RAY倶楽部」という観客向けの会もあります。
クラッシックコンサート(ソロリサイタル含む)も年に数回開催されています。ポップスなども結構メジャーなアーティストもきていて、うらやましい限りです。
私が10代の頃には考えられないほど、音楽を楽しめる街になっています。