「新潮文庫の100冊 2024」の「苦役列車」を読みました。
駅の立ち食いそばの濃厚なつゆの匂いをくぐりながら、現場へ向かう。仕事場でお弁当は当たるものの、休憩時間にコーラ1缶を買うこともできない。仕事が終わり現金を手にした貫多は、まず駅そばに寄る。それから居酒屋へ行き、カップ酒片手に店内のテレビを見る。帰宅し、ラジオを聞きながら眠りにつく。
そんな生活を送っていた貫多は、日雇いの現場で、同い年で専門学校に通っている
貫多には、育ってきた「家庭環境」と「血」による重い足かせがつけられています。
昨今のラノベでは転生ものが流行っているけれど、もし仮に貫多が転生できたとしても、日雇いで出会ったのような日下部のような人生を送ることはできないだろうと思ってしまいます。
逃れることのできない「苦役列車」に乗り、日々苦役に送られ、人生という時間をつぶすしかできません。
賛否両論激しく分かれる作品
芥川賞受賞作です。
受賞した時のインタビューはあくが強くて、話題になっていたようですね。
この小説にも批判的な感想が多くみられます。破滅的な生きざまに嫌悪感を抱く人もいました。
でも、私は、共感するところがありました。
この貫多のように非常に大変な境遇にあるわけではないけれど。
「病気」という名前が私についた時から。
いつかは生活を良くしたい。人生を良くしたい。そう思いながらも。しだいに、腰痛や不眠症など、さらに積み重なるようになって。
抜け出せない輪の中にいる。
体力をつけたいと思えば、ぐったり疲れて家のことができなくなる。家のことに集中しようと思えば、運動する時間を作り出せなくなる。精神的に上向きにしようと趣味を楽しむ時間を作ってみれば、体力作りの時間もなくなり、家事をするだけの体力もなくなっていく。
同じところをぐるぐる、ぐるぐる回っている。
貫多は苦役列車から降りるすべを考えることもできないし、行動にも移せない。親の犯罪で、あらがうことのできない境遇に放り出されたから。
明日のご飯を食べるために、今日のご飯を食べる。
明日を生きるために、今日を生きる。
明日もしんどいかもしれないけれど、その明日を生きるために、今日のしんどい一日を生きる。
まるで、人生は、苦役列車のよう。
調和した破滅
一見、たぶん多数と思われる人々と比べた時に、破滅的な調和のないようにみえる世界。
しかし、その破滅的な流れこそが、貫多の逃れられない「家庭環境」と「血」によって、ドミノ倒しのように連動していて、しかるべき調和となっています。
川端賞を待つ
収録されているもう一作は、「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」。
激しい腰痛を抱えながら川端賞受賞の一報を待つ、40男になった北町貫多の様子が描かれてます。
腰痛の描写がすごい。腰痛だけでこんなに長く書くことができるものなのですね。
これもまた個人的によくわかる描写なのですが(実際に貫多と同じような行為はしてません!)、筆力がある人は、ここまで描くことができるのですね。
川端賞受賞への渇望も引き込まれるように読みました。
「苦役列車」に乗り続けていた貫多ですが、列車から降り、小説(私小説)を書くようになり、文学賞受賞も願うようになりました。
自暴自棄な生活を送っていた青年は、その堕落しきった人生の中であっても、小説を書くという道筋に灯りを見つけます。生きること、認めてもらうことを切望し、もがき、芥川賞受賞という名誉も得ました。
この一冊を読み、読後に他の小説も読んでみたいと思った時、お亡くなりになられてたことを知りました。
小説書きとして、終わりたかった。
「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」(西村賢太)より
早くに亡くなられたことが残念です。