彼は誰時

2011年の記事をまとめてます

国鉄 「天北線」

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稚内にて。なんだか三者会談みたい。 '11.4.1

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国鉄 「天北線」

国鉄 「天北線」(てんぽくせん)。

1922年(大正11年) 、道北の旭川市から最北の稚内市(当時稚内町)まで、オホーツク海側の浜頓別町(はまとんべつちょう)(当時頓別村)経由で全線開業した「宗谷本線」。その後建設された音威子府村(おといねっぷむら)(当時中川郡常盤村)から稚内まで、内陸(日本海側)の幌延町(ほろのべちょう)(当時幌延村)経由の「天塩線」(てしおせん)が開通。1930年(昭和5年)に「天塩線」が宗谷本線に編入されると共に、音威子府-浜頓別経由-稚内の旧来のルートは「北見線」(きたみせん)として分離されました。かつて、稚内、浜頓別などの道北地方は「北見国」(きたみのくに)だったことから名付けられたようです。

1961年(昭和36年)、「北見線」は「天北線」に改称。同じく「北見国」であった道東の常呂郡野付牛町(ところぐんのっけうしちょう)が、市制施行する際、北見市となったため、混乱を避けるために、北見市を通らないこの線の名前が変わったのだと思います。かつて「天塩国」(てしおのくに)だった音威子府など、そして稚内などの「北見国」に敷設されていたので、「天北線」と名付けられたようです。

そして、国鉄分割民営化後の1989年(平成元年)に廃止されました。

停車場

音威子府(おといねっぷ)-上音威子府-天北栄仮乗降場(てんぽくざかえかりじょうこうじょう)(中頓別町)-小頓別(しょうとんべつ)-<歌登町営軌道(うたのぼりちょうえいきどう)>-上頓別駅(かみとんべつ)-恵野(めぐみの)-敏音知(ぴんねしり)-周磨(しゅうまろ)-松音知(まつねしり)-上駒(かみこま)-中頓別(なかとんべつ)-寿(ことぶき)-新弥生(しんやよい)-下頓別(しもとんべつ)(浜頓別町)-常盤(ときわ)-<興浜北線(こうひんほくせん)>-浜頓別(はまとんべつ)-<北頓別仮乗降場(きたとんべつかりじょうこうじょう)>-山軽(やまがる)-安別(やすべつ)-飛行場前(ひこうじょうまえ)-浅茅野駅(あさじの)(猿払村)-猿払(さるふつ)-芦野(あしの)-鬼志別(おにしべつ)-小石(こいし)-曲淵(まがりふち)(稚内市)-沼川(ぬまかわ)-樺岡(かばおか)-恵北(けいほく)-<東声問(ひがしこえとい)>-声問(こえとい)-宇遠内(うえんない)-南稚内(みなみわっかない)

こうして書き上げみると、結構な数の駅があったのですね。今ももと駅の周辺が集落や市街地となっている所もありますが、人家もなくなり、原野となった所も多いようです。

ネットのどこかで見た駅名板「飛行場前」が気になっていたのですが。大日本帝国陸軍の浅茅野第一飛行場があったことに由来するようです。建設から1年後に終戦を迎えたためほとんど使われることなく、1955年(昭和30年)、「飛行場前仮乗降場」を開設した時には原野となっていたそうなのですが、この名前が付いたそうです。

現在の廃線跡は、寂しい風情となっている所も多いようですが、かつてはそれぞれの駅に集落があり、それと共に国鉄利用もあったようです。

モータリゼーション、そして北海道各所で見られる人口減ゆえの利用者減が、この沿線にもあったと思われますが。私がさらっと調べたところで感じたことは。北海道における水産業、農業、林業、鉱業の変遷が、人口減、そして利用者減にもつながったように感じました。

例えば、「日本最長駅間」の山越えとしても知られた猿払村(さるふつむら)の「小石駅」の周辺は、かつて炭鉱で栄えた集落があったそうですが、石炭から石油へのエネルギー改革の後、北海道の他の炭鉱町と同様、天北線沿線の人々の生活も変えてしまったようです。

また、この記事を書いていて、おぼろげに思い出したのですが。私は道北の名寄市(なよろし)生まれ育ちで、子どもの頃、名寄から旭川への宗谷線など汽車(その当時、道産子は列車のことを「汽車」とよく言っていたものと思います)に乗ったことが何回もあります。丸太がたくさん山積みされた風景を車窓からよく見ました。確かに、今思えば、駅近くにそういう場所が多かったような記憶もあります。今もあるのかもしれませんが、車窓から目をそらして何かをしていれば気に留めないような、それぐらいに減っているように思います。

天北の名残り

「天北」(てんぽく)は、今は、「天北原野」や「稚内市立天北小中学校」などにその名を残しています。天北小中学校は、旧「天北線」沿いとその周辺の小・中学校を統合して、2002年(平成14年)、開校した学校です。

天北原野 (上巻) (新潮文庫)

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だんなが地元出身で、この天北線を利用したことがあるそうです。

「のんびりとした列車だった」

そうです。

国道40号線と潮見地区の天北線が交差する所には、陸橋が架かっていたそうです。今では、その陸橋も「宇遠内駅」も跡形もありません。「天北通」という綺麗な道路に整備されました。その東の声問(こえとい)や増幌(ますほろ)地区には若干線路跡が空き地として残っているようなのですが、草も生い茂り、判別するのはなかなか難しいようです。

天北線を知る


少し昔の(+最近の)北海道の鉄道 天北線 宗谷本線 少し昔の(+最近の)北海道の鉄道

速度を速めて編集されてますが、天北線運行の様子を、前面展望で全線見ることができる貴重な動画です。等速の動画はDVDで販売されているようです。その他に、天北線の列車や駅など、たくさんの動画を見ることができます。


急行「天北」 日本の車・雨男の紀行文

1984年に天北線に乗車した時の旅行記です。鉄道にも詳しい様子、また、その土地を知っている者からするとその様子がありありと浮かぶような旅行記です。


Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃 天北線

モノクロ写真ですが、天北線と列車の写真が美しい。解説は、私にはちょっと難しかったのですが、鉄道、そしてカメラに詳しい方には納得の内容かも。


ekisya.net

廃止路線の駅舎・天北線

天北線などの駅舎と駅名表の写真が紹介されています。「宇遠内駅」(うえんないえき)(稚内市潮見)の写真などは、今となっては貴重。


天北線 : プラットホームの旅プラットホームの旅

何年撮影のものか分かりませんが、天北線運行時のほぼすべての駅舎、ホームの写真を掲載、ダルマストーブ(石炭ストーブと思われる)が置かれた駅舎の写真もあり、貴重です。質素な乗降場が多かったことも感じます。


廃止線回想(4) 天北線 ノーブルジョーカー

1970年の天北線の写真です。雪降る中の蒸気機関車は、最北の鉄道ならではの醍醐味です。蒸気機関車ってだいぶ昔のもののイメージだったのですが、私が生まれた頃もまだ活躍していたのですね。


kam-r.sub.jp

天北線跡を辿った旅の様子が書かれていて、興味深い内容となっています。とてもわくわくしながら辿ったであろう様子が伝わってきます。


北オホーツク - Wikipedia

「天北線」があった地域の説明です。この地域は、【北オホーツク道立自然公園】に指定されており、また、北オホーツク海岸は【日本の秘境100選】に選ばれています。


北海道探検記 (集英社文庫)

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入手困難(中古なら手に入る)ですが、北海道の歴史に関心のある者にとって興味深いことが書かれていそうな予感です。

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STV・札幌テレビ放送が50年余りの歴史の中で、撮影した鉄道映像の中から、廃止路線についてまとめたDVD「スイッチバック北の鉄道」。作品中では、「さよなら列車」の運行をはじめとするノスタルジックな映像や歴史的な意味合いの強い資料映像に、最新の取材映像を折りませながら構成しました。 (中略)「スイッチバック」とは、「険しい斜面を登るために一時的に後退運転をする」という意味の鉄道用語。言い換えれば「前に進む勢いをつけるために必要な助走区間」と表すこともできるでしょう。前作に引き続き、鉄道の存在意義を再確認しながら、北海道開拓の歴史を振り返ることのできるソフトとしてお楽しみいただければ幸いです。(Amazon 商品説明より)