彼は誰時

2011年の記事をまとめてます

献上造り、圭水神社、シャケバイ

www.hokkaido-jin.jp

母なる西別川をたずねて

西別川で生まれた鮭は、4年ほど北太平洋を旅して帰ってくる。その回遊経路は、ほぼ確定していて、どの海を通るかもわかっている。調査によると、西別川の鮭の通る道すじは、どこもエサの豊富な「海のゆりかご」だという。

海に出た鮭たちは、いろいろなエサを食べて育つ。アミやエビなどの甲殻類も食べる。エビをたくさん食べた鮭は、身の色がずいぶん赤くなるそうだ。赤い色の鮭は、焼くと甲殻類特有の甘い香りがたちのぼる。日本人は大のエビ好きで、この手の香りにはとても弱い。西別川の鮭も、このような甲殻類をよく食べているのだそうだ。

f:id:yukiha8:20170106214537g:plain

鮭は川に上りはじめるとエサを一切食べない。だから河口から産卵地までの距離が長くなればなるほど苦しい旅になる。鮭たちは、その旅程をちゃんと身体に記憶しているらしい。 西別川の河口から産卵場所までは、ゆうに100キロを越す。長い道のりに備え、西別川の鮭はみな筋肉を鍛え上げ、満タンのエネルギーを蓄えて前浜に帰って来る。身離れが良いという西別の鮭の特徴は、この鍛え上げられた筋肉によるものだ。

宗谷地方でも、「○○で獲れた鮭は美味しい」「△△よりも○○で釣った鮭の方が美味しい」などという話を聞いたことあります。『こんな狭い地域で、そんな差が出るわけないでしょ』と、その具体的な地名も忘れてしまったのですが、日本海側とオホーツク海側どちらで獲るかによって味に違いが出るなど、そういうことはあるのかもと思い直しました。

西別川の鮭が一躍有名になったのは、寛政12年(1800年)、のちの函館奉行・戸川安倫が国後出張の帰りに西別川の塩鮭を持ち帰り、将軍・徳川家斉に献上したことからである。家斉はいたく気に入り、以後毎年将軍に献上されることになった。

現在もこの献上造りで作られた西別鮭が販売されているそうです。

西別鮭(献上鮭)の販売、「別海漁業協同組合」|北海道別海町


そして、個人的にとても気になるのが、

「圭水神社」。

「圭」は「鮭」からきているようです。

blogs.yahoo.co.jp

圭水神社の写真あり。それも興味深いのですけど、梅花藻(ばいかも)の花も気になります。

「魚と卵」 第85号 1960(S35)年 虹別事業場創立70周年記念号 より  (更新停止!独立行政法人水産総合研究センター さけますセンター

圭水神社は、昭和6年に建立されたそうです。


www.hokkaido-jin.jp

秋サケ漁の時期に、集中して働いてもらう仕事を「シャケバイ」と言うらしい。

標津漁業協同組合-鮭バイト募集!

f:id:yukiha8:20170401144400j:plain

Photo by そうや手づくりギャラリー 宗谷総合振興局 | 宗谷総合振興局

こちらは、宗谷で撮影された遡上する鮭。